4月17日(木) ?: 起床 5:55発![]() 写真は出発直前撮影 本当に記憶が薄れています。 建物に入って店員様と何か喋った気がします。2階へも上がったと思いますが....それだけです。 唯、この写真を撮ったときに、随分山の中という気がしたことは覚えています。 下↓、阿蘇くじゅう国立公園 雄大ですね |
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![]() 気持ち良いなあ 寝転がっていたい |
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![]() 広いなあ 整理中に気付きましたが、奥に見えるのは涅槃ですね。 下↓、 大観峰展望所からの 涅槃風景。 顔の辺りが根子岳 |
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高二の修学旅行は九州だった。大観峰展望所に立ち寄った記憶はないが、少なくとも阿蘇を実感できるようなコースをバスで走った筈。しかし全く記憶にない。 しばらく散策をしていましたが、時々目が霞んだような感じがします。歳のせいで目が霞むのかなと思っていましたが、案内板に年に何度か雲がかかることが有ると書かれているのを見て納得。それほど濃いものでは無いけれど近い現象の霧と思いました。 さあ次は九重“夢”の大吊橋へ行きます。 |
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![]() 高さ 173㍍ (日本一) 長さ 390㍍ 数人の警備員さんが橋の上を行き来していました。観光客が悪戯などをしないか目を配っています。 |
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5月17日朝 追記 “夢”で思い出しましたが、誰でも睡眠中に夢を見ることがあります。楽しい夢・何かしら辛い夢・仕事を持っている人はそれに関連する夢・友人や家族の夢・時には今は亡き人の夢などさまざまです。私はここ1~2年は夢を見ながら何?なんでこんな夢を見ているのかなあ?という夢を見ることがあります。恐ろしいとか哀しいというのでは無く、至極まともな夢なのですが自分の過去の経験には無かったストーリーなのです。しかもそのシーンは何度も繰り返します。勿論夢ですから睡眠の浅い時に見ます。起きたときはボンヤリと覚えていますが、数秒か数分もすれば記憶から消えていきます。そんな夢や自分の子供の頃の夢も見ます。或る意味では走馬燈のように感じることもあります。 今朝見た夢はとても変わっています。60年近く交流のある友人とそのお子さんがでてきました。しかも時代は40年程昔と思える出来事になります。彼には長女とその弟息子さんの二人が居られ、今はしっかりそれなりの生活をなさっています。 私が見た夢はこのお子様方とは別の元々存在しない最年長の娘さんがでてきました。何かしらの家具、恐らく本立てのようなそんなに大きくないものを処分して燃やしたい様子。上手く壊すことができずに苦労されています。私は山用の (山歩きが好きで持っていました) 大きなナイフで燃やし易いようにしてあげました。たき火の中に入れています。と、夢はそこで一旦終了し、もう一度同じシーンの夢を見ます。その時最年長の娘さんが居られないので、「あの娘さんはどうしているの?」 と尋ねると、もう亡くなったとのこと。私はその事実を淡々と納得しています。変わった夢でした。 因みに車中泊では夢を見たことはありません。 一応未だ健康で暮らしているのにこんな事ってあるのかなぁ?なんて思う事もあります。いろんな経験をしていますから怖いなんて思わないのですが、不思議だなとは思います。案外と長生きでもするのでしょうかね 笑。それ程な希望は無いのですがね。 自分なりに良かったなぁと納得するまでこんな旅ができるなら.........。
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1時間余り走って 17:04 道の駅やよい着 走行225.3㎞ こんなに早く着いて何をして時間を過ごしたのかハッキリしない。レシートから晩ご飯用に日替わり弁当を購入。コインランドリーを捜していると、日暮れになって明かりがついたので道の向こうに有るのを発見。どの器械を使えば良いのか判らず電話を掛けると奥様が来てくださいました。丁寧なご説明。お宅でも忙しい時間帯に申し訳なくお詫び。1時間で仕上がり後少し離れたドラッグストアーへ行って買物、閉店1分前。風呂は敷地内にあるのでゆっくりできました。他車の邪魔には為らないかなとは思いつつ、持参書13日の続きを読んで過ごし気持ちは穏やか。 |
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4月18日(金) ?: 起床 8:40発 今日はまず近くに在る佐伯城跡へと向かいます。お城は何処でも行ってみたいという気持ちです。どうしてなんでしょうね。ご先祖が侍であった訳でも無いのに。 |
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![]() 三の丸櫓門 1637年に正門として創建され、唯一現存する遺構 |
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![]() 三の丸櫓門から少し登ると道が左右に分かれます。 左は何となく険しそうですが運動がてらに選択。 運動不足ですから少しキツいと感じました。 下↓、 佐伯城跡から番匠川とR388の橋 |
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良い景色。上がって良かったです。 地元の私と同年代の方々が散歩として上がって来られます。その中のお一人は、遙か川に近いお住まいから、以前は自転車併用で、今は街中の自転車は危ないと家族に注意され徒歩のみで来ているとの事。成る程、皆様方いかにもお元気そうでした。 次は少し離れた臼杵城跡です。駐車場が何処にあるのか分からずGSで聞きました。ついでに野上弥生子さんの記念館は何処なのか尋ねましたが良くはご存じ無い様子。取り敢えず城前の駐車場へ向かいました。しまった!僅かしか入らないけれどお礼としてガソリンを補給しておけば良かった。 |
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![]() 1590年頃築城という説明板がありました。 見学の後野上弥生子文学記念館へ向かいます。 |
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![]() 野上弥生子文学記念館 |
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この作家は私のHPに読書感想を掲載した記憶がありました。ところが入館して係の女性に作家が三人の継母での心労をされた事を話すと、そんなことは無いはずですよとの事。自分のサイトをスマホで検索して調べますが、どうしたことか野上弥生子という作家名がでてきません。結果としては昨年の10月29日にUPしていた網野菊さんの
「別れ」 と取り違えての記憶とわかりました。それにしてもなぜ?、野上弥生子さんは漱石と接点があったのですが、その事が記憶違いに繋がっていたのでしょうか?でも本当に変な気持ちでした。未だ若いつもりでいるけれど大丈夫かなぁ。この入館係りの女性にはもう一つお詫びすることがあり、駐車場へ戻ってから電話でお詫びしました。私の歳の所為ということでお許しください。 気分を変えて佐賀関へ向かいます。そこから愛媛県佐田岬半島が見えれば良いのですが。 |
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![]() 道の駅佐賀関からの風景 見えていても私には判らないだけかも知れませんが、見えるとしても、もっと右方向だろうと思います。 過去に自転車で 四国一周4日間 と お遍路、 二度に亘って走りましたが佐田岬半島は行ったことがありません。 |
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別府温泉巡りはスルー。さあ今日の泊地 「道の駅ゆふいん」 へ向かいます。しかしその町中の道路は狭くて大変でした。ここへ来る道中はあちらこちらかに湯煙も上がっていてそれらしい雰囲気でした。しかしそこには簡単に入浴できる施設は見つかりません。どうやらやっとのことでお風呂を済ませることができました。 |
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![]() 道の駅ゆふいんに有った注意書き 湯布院へ行かれる場合は充分に注意して下さい。 |
18:40 道の駅ゆふいん着 走行距離137.7㎞ |
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