《私の本棚 第355》   令和7年10月4日 号

「明 暗 夏目漱石 著  漱石最後の未完作品
                      
朝日新聞1916年5月26日~12月14日まで連載 


 夏目漱石(1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉~1916年〈大正5年〉12月9日)最後の作品で未完です。第354号に 「しっかり読んで深く理解したい」 と書きましたが、ウーン.....中々そうも行きません。何かしら第三者の目で物語りを書いているのでは無く、漱石自身が登場人物達の姿を借りながら、自問自答しているようにも思えるのです。「道草」 や 「行人」 でも同じ様なことが言えると思いますが、この作品は更に一歩踏み込んで、文学小説ではなく、どちらかと言えば哲学書に近いとも感じます。
 主人公は津田で良いでしょう。彼は何しろ重い痔の病で入院をしており、実際、漱石自身は潰瘍で苦しんでいました。結果、作品を書き終えずに亡くなりました。津田の病床脇で、小姑 (妹) のお秀 (既婚) と妻のお延を含めた三人の会話と言うか遣り取りがあります。
 毎月援助を受けながら工面してきた生活費を、津田の父は今月は出せないと言っています。その理由を細かく知っている妹のお秀 (津田には話さない) は、現金を準備して持ってきている。妻のお延も実父から小切手をもらって持参しています。津田は余りにも講釈の多い妹を厄介と感じています。お秀が帰った後、津田とお延は二人揃って声を出して笑いました。その翌日、人柄を好ましいとは思っていない友人の小林が、見舞いでも無く病院に来ました。謎めいた言葉ばかりを口にする小林は、読者の私にも始末の悪い人としか思えません。
 その後見舞いに来た吉川という婦人から、意味ありげに温泉療養を勧められて退院後行きます。その温泉で案の定、清子と遭遇します。清子と言うのは、津田がかなりの親近感を持っていた時に去って行った女性です。津田は清子が何故突然離れ去ったのか今も分かりません。読者の私には、この清子も後述の脇道話しの幸田延と重なります。今、妻となっているお延は、夫には結婚する前に心を寄せた女性がいたのではないかと疑心を持っています。
 このような人達が、ああでも無いこうでも無いと自分の思いを滔々と話します。漱石は登場人物の性格の内面を殊更詳細に述べています。それが題名にも表現されているのでしょう。しかしいくら何でもこのような物語を書いていると、胃潰瘍は治りませんよね。その上今のように治療薬も無い時代です。私は胃痛とその後の潰瘍で、一月余りの入院治療を経験しているのでよく判ります。兎に角、読書感想文らしきものが書けません。
 そこで不図思いついたのが、感想文に代わる 「花言葉」 でした。自分の撮ったデジタル写真を探します。現像の必要がありませんから、膨大なデータが在ります。「こんな感じかな、これも当てはまるかな」 と思って拾い出したのが、下の写真でした。イメージとして、樹木にあれもこれも沢山の花を咲かせて想像して下さい。樹幹は津田=漱石として、小枝にはその他の登場人物の花が咲いています。植物としてはあり得ない事ですが、この作品はそんな風に感じるのです。

 
話しが突然脇道へ逸れますが、清子に重なる人物を偶然見つけました。私はただの一般読者ですから、この感想文の中で、見つけた と表現しても構わないと思うのでお許し下さい。買物に行って駐車場で女房 (混乱を避ける為の表現です) を待つ間TVを見ていました。偶然 「日本人初のバイオリニスト幸田延」 という人が紹介されています。明治時代に日本人初の音楽留学・ピアニスト・バイオリニスト・クラシックで日本初の作曲家・音楽教育家・さらに延?。何かしら不思議を感じます。
ひょっとして津田の妻・お延に重なるのではないかと思い、直ぐに 「幸田延1870~」 とメモをしました。 自宅に戻ってからネット検索をすると、幸田延の実兄は幸田露伴とも判りました。露伴は漱石より六ヶ月遅生まれの同い年です。幸田延は漱石より三つ下です。漱石と露伴は似たような家柄ですが、江戸時代は少し丈夏目家が格上。当時の風潮は、嫁は格下の家から貰うというものでした。文学上の親交もありました。この様な事実から、延と漱石が言葉を交わした事が無いとは言えない。更に、何となく夫婦に成れたらという薄い思いが、金之助 (漱石) に無かったとも言い切れません。その上、幸田延 (清子) がそっと退いていったのであれば、TVで彼女作曲の穏やかなバイオリン音楽 を聴いた私からすれば、当然でやむを得ない流れだと思います。
 妻のお延と清子は、漱石が幸田延をイメージしながら、性格の異なる二人として発言させているように感じます。何の確証も無い上に未完の作品ですから、誰も正しい終章はイメージ出来ません。

 まあいずれにしても、わたしのような爺さんが回らない頭で、あれこれ想像ご苦労さまとお笑い下さい。ほんとうに 少し草臥れました。私のような歳になって読む作品ではなかったと思います。
 更に無駄話になりますが少しだけ話させて下さい。六月十一日に操作中のこのデスクトップPCが動かなくなり、修理に出して一応直りましたが、万一に備えてデータをノートPCへコピーするのに大童。四十年余前の潰瘍退院後にピロリ菌除去をしていますから胃痛は起こりませんでした。つまりストレスの自覚症状はありません。九月にはある理由から、保存してあるデジタル写真の枚数を数えてフォルダー毎に名称変更で書き加えました。この時、デスクトップとノートは大きなフォルダー構成が異なっていますので、思いもよらない混乱が生じました。そして九月二十四日の夜、眠れない程の胃の違和感と苦しさを感じたのです。この感想文を一応書き終え、画像フォルダーも整理が終わり、一週間ほど経っていました。胃の苦しさが軽くなるのと同じ頃に胃カメラ検査を受けました。検査を受ける準備の折、看護婦さんが 「ピロリ菌は?」 と質問されます。それは除去済ですと答えると、重ねて 「緑茶はよく飲まれますか?」 と。 「水しか飲んでいません」 と答えましたが、不思議な質問としか思いませんでした。検査後の医師の言葉から潰瘍を疑われていたと分かりました。結果は逆流性食道炎。この一ヶ月ほど胃がスッキリしなかったのは様々なストレスが原因だったかな?と、自分なりに理解した次第です。皆様もお気をつけ下さい。


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 樹幹は 津田=漱石 として

 小枝には無理矢理の想像で
 下の花々をまとめて咲かせてみて下さい

 
あんな本こんな本サイクリング、読書感想、漱石、明暗菖蒲







信頼 ・ 希望


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睡蓮






信頼 ・ 終わった愛

 
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ナンキンハゼ





真心 ・ 心が通じる


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ボタン





高貴 ・ 恥じらい

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朝顔





青色=短い愛 ・ 儚い恋
紫色=冷静
赤色=儚い情熱的な愛
ピンク色
 =安らぎに満ち足りた気分



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彼岸花



 悲しい思いで
 追想
 再会




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テッセン





甘い束縛






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水芭蕉





美しい想い出







 


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  (1)吾輩は猫である (1905.01~1906.08)    (2)倫敦塔 (1905.01.)   (3)カーライル博物館 (1905. )

   (4)幻影の盾
(1905.04.)  (5)琴の空音 (1905.07.)  (6)一夜 (1905.09.)   (7)薤露行 (1905.09.) 

   (8)趣味の遺伝 (1906.01.)  (9)坊ちゃん (1906.04.)  (10)草枕 (1906.09.)  (11)二百十日 (1906.10.) 

  (12)野分 (1907.01.)  (13)文学論 (1907.05.)   (14)虞美人草 (1907.06~10)  (15)坑夫 (1908.01~04) 

  (16)三四郎 (1908.09~12)    (17)文鳥 (1908.06.)  (18)夢十夜 (1908.07~08)   (19)永日小品 (1909.01~03) 

  (20)それから (1909.06~10)   (21)満韓ところどころ (1909.10~12)   (22)思い出すことなど (1910~1911) 

  (23)門 (1910.03~06)   (24)彼岸過迄 (1912.01~04)   (25)行人 (1912.01~04)   (26)私の個人主義 (.1914.) 

  (27)こころ (1914.04~08)    (28)硝子戸の中 (1915.01~02)  (29)道草 (1915.06~09)  
 (30)明暗 (1916.05~12)